いきなり何を書くのかと思う人がいるかもしれませんがハッキリ言わせてもらいます。すべての勉強(資格だけ試験や学校の勉強だけでなく受験勉強全てにおいて)において言えることですが(勉強だけでなく仕事でもそうですが)とんでもない方向違いの努力をしている人っていませんか。例えば「大学受験で日本史(または世界史)を選択したからと言って歴史小説を読む(又は歴史関連のテレビ番組を見る)」「資格試験の出題範囲外の勉強ばかりしている」「試験に絶対出題されないようなどうでもいいような事まで手を出そうとしている」「簿記検定や公認会計士・税理士試験を受験するからと言って会計関係の本を読みあさったり、どこかの学者が書いた会計の本を読みまくる」という人はいないだろうか。はっきり言ってこういう努力は、無駄以外の何物でもない(本人はためになることを一生懸命やっているつもりなのかもしれないが)。
確かに歴史小説を読んだり歴史関連のテレビ番組を見ることは教養を見につけるためにはいいことかもしれません。しかし資格試験や学校の勉強や受験のための勉強は教養があるかどうかを見るための試験(勉強)をやっている訳ではありません。「基礎知識を身に着けるため」「資格(○○検定○級)を与えるために必要な知識があるか」「入学させるため(又は入学してから学業についていくことができるかどうか確認するため)に必要な学力があるかどうか」を確認するために試験を行っているのです。極端な言い方をすれば「いくら教養があっても試験で白紙答案を提出する」ということをすれば不合格で(最近は名前さえ書けば誰でも合格させてくれる大学が少なからずあるようですが)、「教養がなくても合格最低ライン以上の点数を取得している」ということさえすれば合格できるわけです。まず教養がどうのこうのという前に考え方や説き方を覚え、試験で最低ラインをクリアするための努力をすべきです。
試験に出題されないようなどうでもいいようなことを延々勉強してあたかも自分が一生懸命勉強したということは自己満足に浸るということであって勉強ではありません(あほを相手にするとあほがうつるので周りの人はあえて何も言わないだけですよ)。現実に日本史の試験で「聖徳太子の身長は何センチか」なんて問題が出題されることは無いし、そんな問題が出題されても解けるやつはいないでしょ。
こういうことを書くとよく「試験に出ないことをやることは無駄なのか」「教養を身に付けることは悪いのか」「本を読むことが悪いことなのか」というつっこみを入れてくる人がいますが、こういうくだらないことをいう人はあまり相手にしません(もし自分の周りにいたら相手にするのをやめましょうね)。あくまでも試験に合格するために必要なことを最低限度やって最短コースで合格しようということですよ。本を読んだり教養を身に付けるということは試験に合格してからゆっくりと時間を割いてやったらよいのであって試験に合格する前にやる必要はないのです。試験に合格してから知らない知識を埋めるために本を読んだり新聞を読んで知識を深めればよいのです。
仕事でもそうです。有名な学者や評論家の書いた本を読んだり有名な評論家等の出演しているテレビ番組を見て「社会に関する知識を身に付けた」「専門知識を身に付けた」と思っている人も少なからずいるようです。そのような本を読んだりテレビ番組を見たりすることが悪いとは思いません。しかし、延々と長時間テレビ番組を見てその内容が「自分の仕事や生活に役立っているのかどうか」ということについて一度考え直したほうがいいと思います。実際長時間テレビの前に座っていた割にあまり役に立っていない人が多いのではないでしょうか(実際どうなのかは知りませんが)。別に特定のテレビ番組やテレビ局を批判している訳ではありませんよ。テレビ番組でも「見なければいけない番組」と「どうでもいい番組」に分けて(優先順位付けをする)見なくてもいい番組を見ることをやめて他の事をやるべきなのです(最近のテレビ番組はレベルの低い人向けの番組が増えているような気がするが)。こういうことが理解出来ない人に限って「忙しい」ということを常に言っているような気がするのは僕だけですか。