2019年10月22日火曜日

長男にしてやられた父の遺産争続教訓に…母が長女に残した「遺言」の意味

司法統計によると、遺産分割の調停は7年間で2割も増えています(平成20年は1万202件、平成27年は1万2615件)。これは当事者同士の話し合いで解決できず、家庭裁判所へ持ち込まれるケースのことを指します。これらは遺族同士がもめにもめた結果、収拾がつかなくなったことを意味しますが、筆者が懸念するのは「2回目の相続」です。子にとって、親は父と母の2人。そのため、父→母という順でも、母→父という順でも、親の遺産を相続するタイミングは2回あります。例えば、1回目の父の相続でもめた場合、2回目の母の相続でもめたくないと思うのは当然です。同じ轍(てつ)を踏まないためには、どうしたらよいのでしょうか。
<家族構成と登場人物、属性(すべて仮名。年齢は相談時)>
夫:福留浩二(70歳)  故人
妻:福留和歌子(66歳) 年金生活
長男:福留哲也(38歳) 会社員
長女:武田沙織(36歳) パートタイマー
■「どうせ俺が継ぐんだから」と言い出した長男
「長女には、また同じ思いをさせたくないんです!」
今回の相談者、福留和歌子さんはそんなふうに嘆きますが、和歌子さんが夫を亡くしたのは3年前。通夜から葬儀、そして四十九日の法要までの間、遺族は故人を失った悲しみに暮れていたので、ようやく遺産の話が出たのは逝去から半年後のことでした。遺品から夫の遺言書が見つからない中、遺産分割の協議が始まったのです。
・「どうせ俺が(福留家を)継ぐんだから、いいだろ? おふくろだって先は長くないんだから、いっそのこと、今!」
和歌子さんの長男、哲也さんはそう切り出したのですが、それは夫の遺産をすべて長男が相続することを意味していました。常識的に考えれば、次に亡くなるのは和歌子さん。そこで、和歌子さんの遺産に対して再度、相続が発生するのなら、最初から自分がすべて相続しておいた方が手間が省けるというのが長男の言い分です。長男は夫名義の土地に建物を建て、妻子と一緒に暮らしていました。長男の家は和歌子さんの家から目と鼻に先にあり、両親の老後の世話をするのは長男だというのが暗黙の了解でした。しかし、和歌子さんには長男だけでなく長女(沙織さん)もおり、母親としてはどちらもかわいい子です。長女は結婚して県外に住んでいるとはいえ、一方をひいきにするのは気が引けます。そのため、和歌子さんだけでなく長女にも相続を放棄してほしいと迫る長男のやり方は、少々乱暴でしょう。最終的に長男が相続するのなら遅かれ早かれ、結果は同じように思えますが、本当にそうなのでしょうか。今回の場合、法定相続分(法律で決められた相続分)は和歌子さんが2分の1、長男と長女が4分の1ずつなので、和歌子さんと長女には遺産を請求する権利があり、放棄するのが当然ではないのです。もし、長男の魂胆に生前に勘付いていれば、夫は遺言を残したでしょうが、残念ながら、長男は猫をかぶっていたので本性は分からずじまい。まさに相続が「争続」に変わった瞬間でした。
■夫の遺言がなかった反省を生かす
和歌子さんと長女が手をこまぬいていると、長男は次の一手を放ってきました。和歌子さんの家に弁護士事務所から手紙が届いたのです。「福留哲也氏から依頼を受けました。今後は私を通してください。哲也氏に直接連絡してはなりません」。和歌子さんと長男は親子なのに、「連絡するな!」とはあまりにも一方的です。和歌子さんは仕方なく弁護士と会ったのですが、「田舎ではそういう習わし(長男総取り)なんじゃないですか?」の一点張り。和歌子さんと長女が放棄する以外あり得ないという姿勢でした。和歌子さんは長女のため、やすやすと放棄するわけにいかず、弁護士との話し合いは平行線を辿ったのですが、それから1年後。今度は家庭裁判所から呼び出しの手紙が届いたのです。どうやら、長男が示談での解決を諦め、家庭裁判所へ遺産分割の調停を申し立てた模様。長男と和歌子さんの決裂は決定的なものとなりました。最終的には和歌子さんが譲歩し、長男の相続分を4分の1から2分の1へ引き上げ、和歌子さんは4分の1、長女も4分の1という形で調停が成立したのですが、逝去から解決まで3年もかかり、和歌子さんと長女は長い間、苦しい思いをし続けました。これほど長期化した理由の一つに、夫が遺言を残さなかったことが挙げられます。
・「私がいつまでも元気で健康ならいいのですが、私もいい年です。いつ何があるのか分かりません」
和歌子さんは弱音を吐きますが、やはり、夫が健在だった3年前と生活環境が変わったのは確かです。環境の変化は心身ともに負担が伴うので、以前に比べて病気やけがのリスクは高まっています。万が一の場合に備え、残された長女が困らないよう早め早めに遺言を作成しておくのが賢明でしょう。夫の遺産相続の反省を生かすという意味でも、遺言を残した方がよい理由は以下5つです。
(1)家庭裁判所の検認を経ずに遺産相続を進めることができる
・「(遺産分割の)調停は本当に嫌な感じでした」
和歌子さんはそう振り返りますが、検認とは遺言が有効かどうかを家庭裁判所がチェックする制度です。現在、高齢化の影響で亡くなる人が多く、検認を求める人が増えており、家庭裁判所は非常に混雑しています。検認の申し立てから完了まで半年以上待たされることが予想されます。検認の場合も家庭裁判所へ足を運ばなければなりません。しかも、裁判所内で見知らぬ調停委員や裁判官を相手に話すのは緊張しますし、遺言を巡って長女が長男と同じ部屋で待機するのは苦痛でしょう。そのため、和歌子さんは検認が不要な遺言を残すことを望んでいましたが、具体的にどうすればよいのでしょうか。
1つ目は「自筆証書遺言を法務局へ預ける」、2つ目は「公正証書遺言を作る」です。
1つ目の自筆証書遺言ですが、これは公証人役場を通さず自分で作った遺言のことです。自筆証書遺言でも法務局へ預ければ家庭裁判所の検認は不要ですが、この制度ができるのは2020年7月です。今回の場合、今すぐ遺言を作るのだから、新しい制度の開始に間に合いません。また、自筆証書遺言は(財産目録を除き)すべて和歌子さんが手書きをしなければなりません。「長女にすべて相続させる」という簡単な内容ならよいのですが、遺言執行人や報酬、葬儀の方法などを盛り込むと、もっと複雑で長文なので手書きは大変です。2つ目は公正証書遺言です。これは公証人の認証を得た公文書です。和歌子さんが公証人役場へ出向き、公証人の面前で署名をします。公証人が遺言の有効性を証明してくれるので家庭裁判所の検認は不要です。そのことを踏まえた上で、筆者は「遺言を公正証書にしましょう」と提案したのです。
■家族を亡くして、お金の心配をするのは大変
(2)口座を凍結されても必要なお金を引き出すことができる
「主人のときは、お金を引き出せなくて大変でした」
和歌子さんはそう回顧しますが、相続の場合、銀行に逝去の事実を伝えると本人の口座は凍結され、お金を引き出せなくなります。和歌子さんは夫が保険に入っておらず、一時金がなかったので、病院の医療費や施設の利用料、葬儀などの費用が発生して困ったそう。これらの費用を立て替えなければなりませんでしたが、大半の預金は夫名義で、和歌子さん名義の口座は限られていました。そのため、立て替え分を工面するのに苦労したようですが、故人を亡くして悲しみに暮れている中、お金の心配をしなければならないのは大変です。しかし、2018年7月に法律が改正され、口座が凍結されていても遺族が一定の金額まで引き出せるようになりました。具体的には「口座の残高×3分の1×法定相続人の人数(今回は2人)」ですが、残高が少なすぎて立て替え分に満たないようでは困ります。筆者は「残高が足りるように1つの口座にまとめましょう」とアドバイスしたのですが、残高を引き出すには、銀行名、支店名、口座番号が必要です。残された長女が、口座の在りかが分からないようでは元も子もありません。そのため、遺言には財産目録を添え、その中に和歌子さん名義の口座をすべて挙げておきました。
○亡くなった父親の遺産を巡って、長男側と、母親、長女側が「争続」状態に陥った一家のケースから、遺言を残すことのメリットを考えます。
亡くなった父親の遺産を巡って、長男側と、母親、長女側が「争続」状態に陥った一家のケース。後編の今回は引き続き、父親のときの反省を生かして、母親が遺言を残すことのメリットを見ていきます。
・遺言を残すことで長女が得られる安心
(3)遺言執行人を指定し、執行人の報酬を設定することができる
・「主人の名義変更はまだ終わっていないんですよ。いつになったら安心できるのでしょうか」
和歌子さんは、ため息交じりに言いますが、遺産分割の調停が終わってから3カ月が経過しようとしていました。しかし、預金や不動産の名義変更を誰が行うのか…調停調書(家庭裁判所が発行する書面)に書かれていないので、誰も動かずに時間ばかりが流れていきました。遺族を代表して遺産相続の手続きを行う人のことを遺言執行人といいます。遺言執行人は遺言の中で指定することが可能です。遺言執行人には遺産の名義変更だけでなく、遺品の整理を頼むこともできます。筆者は「一番大変なのは遺品をどうするかです。長女が困らないように、具体的に何を残し、何を残さないのかを一つ一つ挙げておきましょう」と助言しました。和歌子さんは長女に遺言執行人を頼みたいと口にしたのですが、大変な仕事を任せるのだから、報酬を設定することが可能です。和歌子さんの希望で報酬は100万円としました。長女は遺産の中から優先的に報酬を得ることが可能なので安心です。
(4)長女を安心させることができる
遺言によって誰かが有利になり、誰かが不利になるような内容を残すのなら、遺族に遺言の存在を知られた場合はトラブルになる可能性があります。誰にどのくらい相続させるのか…遺留分(どんな遺言を作っても残る相続分)を超えない範囲なら、自由に設定することができます。今回の場合、長女の上限は遺産の4分の3で、長男の下限は4分の1です。そのため、和歌子さんは遺言の中で長女に遺産の4分の3、長男に4分の1を相続させると書きました。さらに、将来的に和歌子さんの心身が衰え、人の助けが必要になった場合の話です。もし長女に一任する場合、身の回りの世話や介護、病院の入退院やデイケアなどの施設利用、買い物や掃除、食事の支度などを引き受けるのは大変です。長女の和歌子さんに対する貢献はお金のためではありませんが、とはいえ、和歌子さんがお金という形で報いたいと思うのは当然です。このように、法定相続分は長女、長男ともに2分の1ずつですが、遺言によって長女の取り分を増やせば、その分、長男の取り分は減ることを意味します。もし、遺言の存在が漏れたり、和歌子さんが「ちゃんと遺言を書いたから」と長女に伝えた結果、誤って口を滑らせたりして長男の耳に入ると困ります。なぜなら、長男は和歌子さんに対して「遺言を書き直してほしい」と迫ってくることが予想されるからです。筆者は「遺言のことを長女に伝えるかどうか悩ましいですね」と首をかしげたのですが、和歌子さんは長女を安心させるため、長男に隠しておくという前提ですが、長女に遺言の存在を知らせることにしたのです。
○遺言に財産目録を添えるメリット
(5)後から、別の遺産が出てくるのを防ぐことができる
「後から、私の知らない証券が出てきたので弱ってしまいました」
和歌子さんは当時、慌てふためいたようですが、調停調書には財産目録が添えられておらず、夫の「全財産」を把握していませんでした。調停調書には「ここで挙げた以外の財産は妻が相続する」という一文があったのですが、他の財産を見つけるたびに憎き長男に報告しなければならないのかと思うと、気がめいるのも無理はありません。筆者は「長女が振り回されないよう、遺言には財産目録をつけたらどうでしょうか」とアドバイスしたのですが、後から別の財産が出てくると、長女は長男と相続の話し合いをしなければなりません。残された長女が二転三転しないよう、遺言には財産目録を添付し、一つ残らず財産目録に盛り込みました。これで、長女は漏れなく財産を名義変更することができて安心です。
遺言公正証書
本職は遺言者・福留和歌子の嘱託により、証人*****、*****の立会の上、次の遺言の趣旨の口述を筆記しこの証書を作成する。
第1条 遺言者は財産のうち4分の3(豊橋市流山町4-19に所在する土地、建物を含む)を名古屋市中区下落合1-31-4 クレールマンション401 武田沙織に、4分の1を豊橋市流山町4-21 福留哲也に相続させる。
第2条 武田沙織が相続した豊橋市流山町4-19に所在する土地、建物は武田沙織の判断で処分して構わない。
第3条 武田沙織が相続した動産のうち、仏壇を除き、武田沙織の判断で処分して構わない。
第4条 本書遺言の執行者として以下の通り、指定する。
 住所 名古屋市中区下落合1-31-4 クレールマンション401
氏名 武田沙織
第5条 遺言の執行者の報酬を金100万円とする。
本旨外要件
会社員 遺言者 福留和歌子
上記遺言者は本職と面識がないので、法定の印鑑証明書をもって、人違いでないことを証明させた。
上記遺言者及び証人に読み聞かせたところ、各自筆記が正確なことを承諾し、以下にそれぞれ署名捺印する。
遺言者 福留和歌子
 証人 *****
 証人 *****
この証書は民法969条第1号乃至(ないし)第4号の方式により作成し、同条5条に基き本職が次の署名する。
*********************
 **地方法務局 公証人****
財産目録
1.不動産
 <土地>
 所在 豊橋市流山町 地番 4番19 地目 宅地 地積 197.00平方メートル
<建物>
 所在 豊橋市流山町 4番地19 家屋番号 4番19 種類 居宅
 構造 木造スレートぶき2階建 床面積 1階 64.00m2 2階 54.18平方メートル
2.預貯金
 豊橋銀行 流山支店 普通預金 355755 本証書作成時点で3085万1698円
ゆうちょ銀行 記号280 番号784521 本証書作成時点で50万1581円
 豊橋信用金庫 流山支店 普通預金 002587 本証書作成時点で3万445円
3.保険
かんぽ生命保険株式会社 証券番号 第785145号 受取人 武田沙織
 毎日生命保険相互会社 証券番号 ACE-89684 受取人 武田沙織
4.負債
なし
○長男は事実と向き合えるのか
このように、長男の暴挙のせいで、和歌子さんは「長女有利」の遺言をしたためるしかなかったのです。そのことは法律的に問題ないのですが、気持ち的には問題があります。長男が「母に疎まれていた」という事実を受け入れるには時間がかかるでしょうし、長男がいつまでも現実逃避を続ければ、また、夫のときのように遺産協議が長期化することになりかねません。何より、長男の行き過ぎた行動によって長男と長女の間に埋めがたい溝が生じたのは、残念でなりません。和歌子さんが天に召された後も、長男と長女が家族らしい付き合いをすることは難しそうです。
露木行政書士事務所代表 露木幸彦
オトナンサー / 2019年10月13日 9時10分(上)2019.10.14(下)