2021年3月20日土曜日

一心会<6代目山口組

 一心会は、大阪府大阪市中央区宗右衛門町5-33(2代目当時大阪市中央区高津2-3-16ローズシャトー高津)に本部を置く暴力団。山口組三代目組長田岡一雄の舎弟であった韓禄春の結成による「富士会」という暴力団を源流とする組織で、指定暴力団六代目山口組の二次団体。詳しいことは不明であるが過去の住宅地図によると2代目時代、大阪市中央区高津2-3-16ローズシャトー高津というマンションの3階に「株式会社昌栄総合企画(ネットにおいてこの会社がフロント企業であるという記載あり)」という会社があり6階に「川崎(2代目組長の苗字のみ)」表札が出ていたようである。3代目になってから大阪府大阪市中央区宗右衛門町5-33に移転し、表札には組長の苗字である「能塚」と掲げるのみである。

○来歴

田岡一雄の舎弟であった韓禄春が「富士会」を結成。1960年の「明友会抗争」の際には報復の実行部隊を担った。のちに「一心会」として組織を再編。勢力を広域に拡張するなどで山口組内でも有数の有力組織となった。初代会長の桂木正夫は山口組五代目体制下にあって舎弟頭補佐の役を務め、1995年をもって引退。長年にわたり桂木の側近であった川﨑昌彦が同年内に会長に就任した。2000年代の後半期(2008年10月)に後藤組の処分問題が発生すると、神戸の井奥会、熊本の三代目大門会、福島の六代目奥州会津角定一家、福岡の二代目浅川一家、そして同じく大阪の浅川会ならびに太田興業とともにこれに連座。山口組から除籍処分を受けた川崎が2008年をもって引退、当時若頭であった能塚恵が組織を継承した(2008年11月11日)。2018年6月朋友会を傘下に高島伸佳会長を副会長に迎える。 


○歴代

富士会:韓禄春田中禄春とも名乗った。三代目山口組舎弟。のち在日本大韓民国民団中央本部常任顧問。 

初代:桂木正夫

1927年3月5日生。三代目山口組若中、四代目山口組若頭補佐、五代目山口組舎弟頭補佐。 

二代目:川﨑昌彦

1939年8月8日生。初代体制下では系列組織の「川崎組」を率いた。1995年における桂木の引退とともに組織を継承し、山口組五代目組長渡辺芳則から親子盃を受けた。2008年に山口組から除籍処分を受け引退、跡目を能塚恵に譲った。 

三代目:能塚恵

1960年生。暴走族の総長であった若年期、当時川崎組の会長であった川﨑昌彦と縁を持ち、同組に加入。それからというもの川崎の傘下で活動し、1998年に一心会の若頭補佐へ。同会内に「能塚組」を結成した時期もあったが、のちに川崎組を復興したうえで自ら組長に就任、のち2006年に一心会の若頭へ。先代の川﨑の引退に伴い2008年に組織を継承。2015年8月に神戸山口組と6代目山口組分裂した。2015年11月05日、六代目山口組の定例会から帰ってきた六代目山口組幹部の『三代目一心会』会長・能塚恵に対し、一心会の若頭や幹部らは「もうオヤジにはついて行けない」と言い放ち席を立った。2015年11月06日、能塚恵は頭を丸めて山口組総本部を訪れ、執行部に昨日の出来事を話して謝罪した。一心会の組員らは同じ六代目山口組系列の『二代目竹中組』や他団体の『二代目東組』『神戸山口組』に移籍する者、いったん組に戻るものや引退する者もいたとされる。



○組織図 

会長-能塚恵(六代目山口組幹部)

会長代行-高島伸佳(朋友会会長)

理事長-芦川繁希(三代目三瓶組組長)

本部長-杉本 純

大阪府大阪市中央区宗右衛門町5-33にある現事務所です。




2代目当時大阪市中央区高津2-3-16ローズシャトー高津の動画です。