2023年11月16日木曜日

死亡男性は除籍組長、拳銃自殺か組分裂で組織運営に悩む?

 大阪市浪速区桜川のマンションにある暴力団事務所で26日午後に見つかった拳銃で撃たれたとみられる男性について、大阪府警浪速署は同日、搬送先の病院で死亡が確認されたと発表した。同署によると、男性は指定暴力団山口組直系倉本組(本部・奈良市)の川地敏之組長(52)=奈良市大宮町=とみられ、自殺の可能性が高いとみて調べている。同署によると、川地組長とみられる男性は寝室で寝間着姿で倒れていたといい、マンションを訪ねてきた元組員の男性(49)が発見した。胸に銃創のような傷が1カ所あり、そばには回転式の拳銃が落ちていたが、争った形跡はなかったという。捜査関係者によると、川地組長は今月中旬、山口組から除籍処分を受けていたといい、病気療養中だった。山口組の分裂をめぐり倉本組では、山口組に残る勢力と離脱した神戸山口組側へ移籍しようとする勢力の両方があるなど、組織運営でトラブルを抱えていたとみられる。

2015/10/27 07:38 産経WEST

揺れる山口組 直系組長が拳銃自殺 上と下の板挟みで精神的に追い詰められ…

国内最大の指定暴力団山口組(総本部・神戸市灘区)の直系団体である倉本組(本部・奈良市)の川地(通称・河内)敏之組長(52)が26日、大阪市浪速区の傘下組事務所で死亡しているのが見つかった。拳銃自殺とみられる。倉本組は8月末の山口組分裂が表面化して以降、残留派と神戸山口組移籍派に割れており、山口組は今月中旬、川地組長の監督責任を問い、除籍処分にしていた。山口組の分裂から2カ月。川地組長の自殺は組織分裂で揺れ動く山口組の実態を浮き彫りにしている。大阪府警によると、川地組長は26日午後0時20分ごろ、大阪市浪速区にある傘下組事務所の和室に敷かれた布団の上であおむけに倒れているのを、訪ねてきた元男性組員(49)に発見された。病院に運ばれたが、胸に銃創があり、死亡が確認された。グレーのスエット姿で右手近くには回転式の拳銃が落ちており、ほかに目立った外傷はなかった。川地組長は今月初旬~中旬に内臓疾患のため入院。その後は事務所に寝泊まりし、元組員が日中は身の回りの世話のため通っていたという。遺書などは見つかっていないが、状況などから大阪府警は拳銃自殺の可能性が高いとみて調べている。川地組長は8月末の山口組の分裂が表面化していて以降、窮地に立たされていた。奈良県警の捜査関係者によると、倉本組は山口組の直系団体で、大阪府や和歌山県、三重県などにも傘下組織を持つ。川地組長は2010年、ナンバー2の「若頭」から3代目組長に就任。山口組の分裂以降は神戸市灘区の総本部で直系組長らを集めて毎月開かれている定例会には出席せず、若頭を代理出席させるなどしていたという。倉本組はピーク時には約2000人の組員を抱えていたが、取り締まり強化や暴力団排除条例の浸透などで約200人まで激減。総本部に納める毎月約100万円の会費や、雑貨購入費などの支払いに困窮していたとされる。高額の山口組の会費を批判している神戸山口組側は直系組長の毎月の会費は30万~10万円に抑えており、倉本組内では山口組に残留するか、神戸山口組に移籍するか、意見が分かれていたといい、こうした情勢を山口組執行部が察知。川地組長の監督責任を問い、除籍処分にしたという。捜査関係者は川地組長について「上からはたたかれ、下からは突き上げられ、板挟みになっていた。最近は精神的に追い詰められて酒浸りになっていたようだ」と指摘。今後の倉本組については「傘下組織の一部は倉本組の初代組長と縁がある神戸山口組の直系団体に移籍する方向で、残りは山口組の直系団体に吸収される」と分析している。山口組の分裂から2カ月。山口組の直系団体の中には倉本組と同様の問題を抱えている組織がまだあるといい、警察当局は動向を注視している。

2015.10.27


大阪府大阪市浪速区桜川一丁目2-18サンロール湊町201らしい。

過去の住宅地図を調べてみると2001年から2008年までの間201号室と202号室に「河内」と言う表札が出ていた様子です。組事務所として利用されていたのか個人の住宅として利用されていたのかは不明です(この新聞記事の文章からすれば表札は個人名で出していたが組事務所として利用していたようです)。


〇河内敏之とは

河内敏之(本名:川地敏之 1963年3月4日-2015年10月26日)は日本のヤクザ。元・指定暴力団・六代目山口組若中、三代目倉本組組長。

1982年、倉本組・三誠会に加入する。

2010年、六代目山口組若中。

2011年、組長付に就任する。

2015年10月、分裂騒動で六代目山口組か神戸山口組かの選択を追求された。

初代倉本組組長・倉本広文は、柳川組出身で初代宅見組副組長を務めた後に四代目山口組若中になった経緯もあり、二代目宅見組への恩もあり態度を保留した。

同月20日、六代目山口組は河内敏之を「裏切者」と恫喝し、除籍。

同月26日、河内敏之は寝室で、寝間着姿のまま布団の上で心臓めがけ自ら拳銃の引き金を引き自殺した。河内敏之は病院に運ばれたが、すでに心肺停止状態だった。右手近くにリボルバーの拳銃が落ちていて、争った形跡はなかった。