2025年5月17日土曜日

相続を「放棄」したいのですがお金がかかるって本当ですか? どのくらいの金額がかかるのでしょうか?

 被相続人の財産(資産および負債)の全てについて、承継しないことを家庭裁判所に申述することで相続を放棄することができます。放棄が受理されると、申述した人は当初から相続人でなかったものと見なされます。 例えば、被相続人の資産がプラスの資産よりマイナスの負債が多いような場合に、負債の承継を回避するためなどに使われます。 本記事では、相続放棄の手続きの方法や費用などについて確認していきます。

〇相続放棄の手続きの流れ

相続放棄は、相続の開始を知った日から3ヶ月以内と期限が定められており、これを「熟慮期間」といいます。ただし、財産を調べるのに時間を要する場合などには、相続放棄の期間伸長の手続きをすることもできます。3ヶ月という期間は、思った以上に短く、相続開始から葬儀、法要などに忙しく対応していると、いつの間にか期限を迎えてしまったなどの事例をよく聞くことがあります。また、その間に被相続人の財産(プラス、マイナス)を全て把握することが困難な場合もあるでしょう。ご自身で相続放棄の手続きを進めることが難しい場合や、判断に苦慮する場合などには、弁護士や司法書士、税理士などの専門家に早めに相談することをお勧めします。ただし、その場合には通常依頼のための報酬(費用)がかかります。

ご自身で手続きを進める場合の相続放棄の手続きの流れは、以下のとおりです。

(1)相続放棄申述書をはじめとする必要書類の準備

(2)家庭裁判所への申述(相続の開始を知った日から3ヶ月以内)

(3)家庭裁判所から届く照会書の返送

(4)相続放棄申述受理書の受領

〇相続放棄にかかる費用

相続放棄は、個々の相続人が単独で申述することができます。また、被相続人の資産をプラスの範囲内でマイナス分も承継する「限定承認」は、相続人全員で家庭裁判所に申し出る必要があります。ご自身で相続放棄の手続きを進める場合、一般的には以下のとおり3000円程度の費用がかかります。

(1)収入印紙代:800円(申述人ひとりにつき)

(2)郵便切手代:約400~500円(管轄の裁判所によって異なる)

(3)被相続人死亡の記載がある戸籍謄本:750円

(4)被相続人の住民票除票(または戸籍の附票):300円

(5)申述人の戸籍謄本:450円

(4)(5)については法務局で取得できる「法定相続人一覧」で代用できます。上記の手続きを弁護士や司法書士などの専門家に依頼する場合には、一般的には別途費用がかかります。正確な費用は個々の専門家に確認する必要がありますが、申述人ひとり当たり数万円程度の費用がかかるようです。

〇相続放棄に関するよくあるトラブル

相続人の範囲について、被相続人の配偶者は常に相続人となり、配偶者以外の人は次の順序で配偶者と一緒に相続人になります。

●第1順位

被相続人の子

●第2順位

被相続人の直系尊属(父母や祖父母など)

●第3順位

被相続人の兄弟姉妹

前述のとおり、相続放棄をした場合、その人は初めから相続人とならなかったものと見なされます。その場合に、次順位の相続人がいると、相続権がその人に移ることになります。相続放棄をした人が、「私は初めから相続人ではないのでこの相続は全く関係ない」として、次順位の相続人に伝えていない場合などに思わぬトラブルとなるケースもあります。次順位の人が全く想定していなかった状態で、突然相続人となることに困惑する恐れや、ましてや多額の負債を思いもよらぬタイミングで負うこととなるケースなどもあり得ます。また、2023年4月施行の民法第九百四十条では、「相続の放棄をした者は、その放棄の時に相続財産に属する財産を現に占有しているときは、相続人又は第九百五十二条第一項の相続財産の清算人に対して当該財産を引き渡すまでの間、自己の財産におけるのと同一の注意をもって、その財産を保存しなければならない」として、たとえ相続放棄しても全く関係ないとはいえず、一定の管理義務(第三者に迷惑をかけた場合などに責任を問われる恐れがある)が生じる場合があることを明確としています。それと相続放棄しても保証債務(連帯保証人のこと)は免除されません。

〇まとめ

相続放棄の手続きは、申述人が単独で実施することができます。ただし、いったん相続放棄を選択した場合には取り消すことができません。相続や法律などの専門的な知識のないままに手続きを進めてしまうことで、必要書類の不備や却下となってしまうケースもあり得ます。結果として、手続きが遅延してしまうこともあるでしょう。相続放棄を選択することに迷いがある場合や資産の調査などに時間を要する場合などには、早めに専門家のアドバイス、支援を受けることをお勧めいたします。


2025年4月22日火曜日

インボイス制度公表サイト

 2023年10月から始まったインボイス制度に登録しているかどうかを調べることが出来るサイトです。運営している会社の情報を調べるのに便利ですね。

https://www.invoice-kohyo.nta.go.jp/


2025年3月18日火曜日

東生会跡地<神戸山口組

 二代目東生会は大阪市淀川区三津屋北1-31-3に本部を置いた暴力団で、指定暴力団・神戸山口組の元二次団体。2023年5月1日に解散した。

〇略歴

1984年頃、初代の東義生(一和会組織委員長・北山組舎弟)が、北山組解散後に宅見組へ移籍。

1997年、宅見若頭射殺事件以降は「初代宅見組系」として活動。この後宅見組の二代目は入江禎が継承した。

1998年、入江禎の二代目継承に反目した組長代行・天野洋志穂(天野組組長)、舎弟頭・東義生(東生会会長)、舎弟頭補佐・植木紀雄(一誠会会長)らが天野組を結成。東義生は天野組組長代行に就任。

2005年、東義生の天野組最高顧問就任に伴い、須ノ内祥吾が東生会の二代目を継承。

2008年、天野組組長・天野洋志穂が山口組から除籍され引退。天野組も解散。

天野組の地盤を引き継ぐ形で、山口組の二次団体に昇格。

2015年8月27日、井上邦雄ら六代目山口組の幹部13名が、山口組を離脱し神戸山口組を結成。この当日、六代目山口組から謹慎処分を受ける。

同年9月7日、山口組から除籍される。

神戸山口組に加入。

2023年5月1日付で、須ノ内祥吾が大阪府警に自身の引退届と東生会の解散届を提出。東生会は解散した。

〇東生会系譜

初代-東義生(宅見組舎弟頭)

二代目-須ノ内祥吾

〇二代目東生会組織図

会長-須ノ内祥吾(神戸山口組舎弟)

若頭-梅宮康行(二代目須ノ内組組長)

舎弟頭-高山俊冶(高山組組長)


2025年3月12日水曜日

ヤクザと憲法

 『ヤクザと憲法』(ヤクザとけんぽう)は、東海テレビ放送で2015年3月に放送されたドキュメンタリー番組。また、これを再編集して2016年に公開された日本のドキュメンタリー映画。監督は?方宏史。


概要

タイトルは、日本国憲法第14条が定める「法の下の平等」にヤクザは含まれるのか、という問題を指す。取材スタッフは指定暴力団・二代目東組(大阪市西成区)の二次団体である二代目清勇会(堺市)に100日間密着し、40分テープ500本分の映像を撮影した。主にヤクザの日常生活を追いかけ、「謝礼金は支払わない。収録テープ等を事前に見せない。顔へのモザイクは原則かけない」という約束で行われた。放送業界ではタブーとされている暴力団を真正面から撮影したと述べられている。2016年7月25日、渋谷にオープンしたばかりの「Shibuyaロフト9」で上映会とトークイベントが開催された。トークイベントには阿武野勝彦(プロデューサー)、?方宏史(監督)、山之内幸夫(元弁護士)、安田好弘(本作品の法律監修をした弁護士)、宮崎学(作家)が参加した。さらにサプライズゲストとして川口和秀(二代目清勇会会長)と大野大介(清勇会若頭)も登壇した。2016年12月には、CS・日本映画専門チャンネルで『東海テレビドキュメンタリー傑作選』の1つとして、TV初放送された。2018年10月2日に出演していたヤクザ達が大阪市内のビルの建設資金約500万円の支払いを免れるために、1月に建設関係者の男性を「なめきってんちゃうか」などと組員ら10人ほどで取り囲んで脅迫などした罪で逮捕された。それと「松山尚人」は部屋住みして8ヶ月目にしてドキュメンタリー映画「ヤクザと憲法」に出演して「伝説の部屋住みヤクザ」として一躍有名になる。しかし、その後、部屋住みから1年もしない内に東組から脱走してしまう。そしてしばらくの間は、若頭からもらっていたお駄賃で食いつらいでいたと思われます。そのままお金がなくなり無一文になってしまった挙げ句に21歳という若さで名古屋のコンビニで「強盗未遂」にて捕まる。

 当時の報道によるニュース記事になります。

◆中京テレビニュース(CTV)より

名古屋市東区泉のコンビニで、女性経営者にカッターナイフを突きつけて厳禁を脅し取ろうとして、住所不定の暴力団組員・松山尚人容疑者(21)が強盗未遂の疑いで逮捕された。警察によると、松山容疑者は女性経営者にカッターナイフを突きつけ、「金を出せ」と現金を脅し取ろうとした疑い。女性経営者が非常通報ボタンを押したため、何も奪わず逃走していた。警察の調べに対し、松山容疑者は「暴力団事務所を出てきて、金がなかった」などと容疑を認めているという。

◆東区のコンビニ強盗未遂、暴力団員を逮捕/愛知(2015/06/17)

今年4月、名古屋市東区泉のコンビニエンスストアで、女性経営者にカッターナイフを突きつけ、現金を脅し取ろうとしたとして、住所不定の暴力団組員・松山尚人容疑者(21歳)が(2015年6月)15日、強盗未遂の疑いで逮捕された。警察によると、松山容疑者は女性経営者にカッターナイフを突きつけ、「金を出せ」と現金を脅し取ろうとした疑い。

これ以外にも余罪があり執行猶予なしの有罪判決が出たそうです。今現在もう出所しているようですが名古屋の方に住んでいるのではと言われています。


〇出演 (取材対象者)

川口和秀 (二代目清勇会会長)

山之内幸夫 (弁護士)

大野大介 (清勇会若頭)

松山尚人 (清勇会部屋住み)

河野裕之 (清勇会事務局長)

隈村州男 (清勇会若頭補佐)

今井進 (清勇会舎弟頭)

大石和政 (清勇会舎弟)

金城健護 (清勇会部屋住み)

猪原かをよ (山之内の事務員)

二代目東組二代目清勇会

〇スタッフ

プロデューサー-阿武野勝彦

音楽-村井秀清

音楽プロデューサー-岡田こずえ

撮影-中根芳樹

音声-野瀬貴弘

オーサリング-山口幹生

TK-河合舞

音響効果-久保田吉根

CG-松井裕哉

編集-山本哲二

法律監修-安田好弘

映像協力-関西テレビ放送

監督-方宏史

制作-東海テレビ放送

2025年2月15日土曜日

柳川組<山口組

 二代目柳川組は大阪府大阪市北区堂山に本部を置いた愚連隊系暴力団で、三代目山口組の二次団体。

〇略歴

1958年、柳川次郎が柳川組を結成。

1959年、柳川次郎が三代目山口組若頭・地道行雄の舎弟となり山口組傘下となる。“殺しの軍団”と呼ばれ、組長・柳川次郎以下、在日朝鮮人が多く所属していたことでも知られる。全盛期には傘下73団体・組員1700名(準構成員含むと約2800名)を抱え、全国1道2府10県に進出。山口組の勢力拡大に貢献した。三代目山口組時代に二次団体でありながら広域暴力団に指定された唯一の組織。1964年、谷川康太郎が二代目を継承。1969年4月1日、大阪府警により柳川次郎は名古屋刑務所から大阪の田辺警察署に移送された。ここで第一次頂上作戦の対象とされ、厳しい追及により田辺署は柳川次郎の口から柳川組の解散を引き出した。同年4月8日、柳川次郎は二代目柳川組組長・谷川康太郎を大阪刑務所で説得し三代目山口組組長・田岡一雄に無断で解散を宣言(なお「解散声明書」及び柳川次郎が署名した「解散同意書」は1969年4月9日付となっている)。同年8月1日、田岡一雄は柳川次郎、谷川康太郎を本家に無断で組を解散したと云う理由で絶縁処分とした。

〇柳川組系譜

初代-柳川次郎こと梁元錫

二代目-谷川康太郎こと康東華

〇二代目柳川組組織図

組長-谷川康太郎(三代目山口組若中)

〇主な出身者

石田章六(石田組組長)-後の章友会会長・六代目山口組顧問

野澤儀太郎(野澤組組長)-後に一会会長・五代目山口組舎弟

金田三俊(金田組組長)-後に四代目山口組舎弟

藤原定太郎(藤原組組長)-後に藤原会会長・三代目山口組若中

木村忠雄-後に藤原会最高幹部、藤和会会長・五代目山口組若中

倉本広文-後に倉本組組長、宅見組副組長、五代目山口組若頭補佐

前田和男-後に前田組組長、黒澤組副組長、黒誠会会長・五代目山口組若頭補佐

小山十四郎(和歌山支部長・小山組組長)-後に一会副会長・五代目山口組若中

福島三郎(北陸支部長・福島組組長)-後に一会幹部、四代目山口組若中

紺谷久雄(紺谷組組長)-後に一会幹部、四代目山口組若中

石間春夫(北海道支部二代目支部長)-後に北誠会会長・初代誠友会総長・五代目山口組舎弟

田村武志(北海道支部)-後に二代目北海道誠友会会長、二代目誠友会会長・五代目山口組若中

福島末博-後に勝龍会会長、宅見組舎弟頭補佐・六代目山口組幹部

2025年2月3日月曜日

2025年1月24日金曜日

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